情熱大陸

田根剛(建築家)の作品や嫁の年収を情熱大陸で紹介!結婚した弟子やJリーガーの子供とは?

フランス、パリを拠点に活動されている

建築家の田根剛(たね つよし)さんが【情熱大陸】

に出演されます。

田根剛さんの最近の話題としては、パリの街の大改造プロジェクト

「reinventer paris」のコンペを見事勝ち取り

プロジェクトリーダーとして陣頭指揮をしているそうです。

日本人なのに伝統あるパリの街の建築に携われるとは

只者ではない、雰囲気を感じます^^

そんな、田根剛さんについて

まだ若いけど何が凄いの?

作品は何があるの?

結婚はしているの?嫁は、子供は?

元Jリーガーだったのは本当?

等々、皆さんの噂が気になって調べてみました^^

今回も私と一緒に一瞬で納得しましょう!

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田根剛さんの経歴等等プロフィール

プロフィール1

出典元:http://casabrutus.com/

  • 名前:田根剛(たね つよし)
  • 職業:建築家
  • 生年月日:1979年9月14日
  • 年齢:36歳
  • 出身地:東京都
  • 最終学歴:北海道東海大学芸術工学部建築学科
3分で分かる田根剛さんの事

  • 高校時代はジェフユナイテッド市原のユースチームに所属
    ⇒将来はJリーガーを目指す程の実力だったが、
     怪我によりプロサッカー選手を断念
    ⇒元チームメイトには、元日本代表の阿部勇樹氏等がいる
  • 建築の道に進んだのは偶然のきっかけ
    ⇒北海道の大自然に憧れて北海道の大学へ進学する
    ⇒大学の学科が建築とデザインしか無く、
    「面白そうだから」とフィーリングで「建築」選ぶ
    ⇒大学時代はスウェーデンに1年間交換留学
    この経験が、現在の田野氏の原点にもなったという
  • 大学卒業後、デンマーク王立アカデミーにて2年半客員研究員を経て
    ロンドンにある設計事務所に勤務
    ⇒後の、建築事務所DGT(DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS)
    設立メンバーのダン・ドレル(イタリア)、リナ・ゴットメ(レバノン)
    は、当時別々の事務所で働いていた
  • 26歳の時、国際コンペ「エストニア国立博物館」で最優秀賞授賞
    ⇒当時は経験も浅く全てが手探り状態。設計完成には5年かかったという
    ⇒無名の日本人建築家という事もあり、国際的な注目を浴びる
  • 2006年、パリを拠点にDGTを設立
  • 2012年、東京オリンピックに向けた新国立競技場のコンペで最終選考に残り、
    大きな話題となる
    ⇒最終審査通過には通らなかったが、相手が天才建築家の
    ザハ・ハディド氏であった事は大変な名誉
  • 現在は、本業の建築の仕事はもちろんの事、
    指揮者・小澤征爾氏の舞台装置や演出振付家・金森穣氏(Noism)の
    サポートを務めるなど、分野を超えた活動も精力的に行っている

田根剛さんの作品を紹介!

田根剛さんの建築とは、

「人が集まる場所を作る」

と言われています。

そしてそこには、「場所の記憶」が宿ると。

そのコンセプトのもとに創造された田根剛さんの

作品とはどのようなものでしょうか?

田根剛さんの「場所の記憶が宿るもの」① エストニア国立博物館

作品2

出典元:http://www.axisinc.co.jp/

田根剛さんとDGTのメンバーは未使用のまま荒廃していた軍事用滑走路を、

施設に取り込む形でエストニア国立博物館は設計されました。

エストニア国立博物館の場所はエストニア・タルトゥ市になります。

まず、エストニアってどこ?ってなりますよね。

ロシアの北西部、北欧になるのでしょうか。

冬は寒そうですよね~

エストニア国立博物館建造時も、氷点下15度の中、

職人さん達がコンクリートを打つという過酷な現場だったそうです^^;

2006年、コンペ優勝時はまだ無名の建築家だった田根剛さん

はコンペの勝因については、この様に言われています。

当時エストニアはソ連から独立して15年を迎えた節目
の年でした。
人口の4分の1がロシア人で、国家・民族としてエストニアは
どうあるべきかが議論されていた時期でもあって。
僕らが提案したのは、過去を抹消するでも壊すでもなく、
つないでいくことだったんです。

引用元:http://goethe.nikkei.co.jp/

エストニアは占領下にあったつらい歴史や、

負の遺産として放置されていた土地からも目を背けず、

次世代につなぐという、コンセプトがコンペ審査総評で

高評価につながったのだと。

まさに、田根剛、建築論の「場所の記憶」になりますよね。

新しい何かを創り出すのでは無く、ランドマークとして

大地に刻み込む姿が、エストニアの人達にとって

アイデンティティーそのものであるということでしょうか。

私は建築に関しては、全くの畑違いですがただ箱を作る

訳ではなく、その土地の文化、歴史まで考えた上で

創作されることを知って感動しました!

田根剛さんの作品紹介はまだまだ続きます!

田根剛さんの年収、嫁と子供については次のページへ

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